池田久美子は日本初の7m目指し絶不調に!天才の苦悩とは?【消えた天才】




今日の消えた天才は

末續慎吾さんが

完敗した走り幅跳びの

天才です。

消えた天才、

池田久美子さん。

現在、38才。

2年前に長女が誕生しています。

6月23日の夜20時からはTBSで 「消えた天才」が放送されます。 日本最速・末續慎吾が完敗した、 天才美女 井村...

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池田久美子の天才ぶりは?

末次に競技変更を決断させた

小学生時代は?

「アイツは女子じゃねぇよ」

と言われていました。

日本新記録を

6m86cmで樹立。

当時の目標は、

日本人初の7mジャンプが

目標でした。

金7m07cm

7mごえを楽観視していたが

なかなか超えられない。

その後大変なことが待っているのを

当時は気づいていなかった。

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日本初の7m超えを目指して絶不調

記者からは

「今日は残念でしたが

これから出してもらえますよね」

という期待が

池田を苦しめた。

記者会見でも

7mどうやったら跳べるのか・・」

6m59cmで

優勝した時も

記者「7m超えられなかった。

2ヶ月で改善できるんですか?」

と尋ねられます。

涙する場面もあって、

泣き止むまで待ってから

会見したこともありました。

池田「やめたら楽だな」

と思うこともあったのです。

日本初の7mごえを

目指して

絶不調になりました。

しかし、復活を見せました。

末次池田と同い年の人の

おかげです。

池田が奇跡の復活を遂げた裏には

女子砲丸投げの森千夏がいた。

日本新記録の

18m22cmは今も

破られていない。

小学3年生の陸上大会の

お風呂場であった女の子が

森千夏だった。

その後も度々会う2人。

実業団で再会を果たす。

「挑戦することを森ちゃんから

学びました」

「2人で必ずオリンピックに

行こう」と切磋琢磨しました。

池田さんは3cm差で惜しくも

オリンピックを逃しました。

1しょにオリンピックに行くために

頑張れました。

女子砲丸投げはアテネオリンピック

日本人で40年ぶりに出場。

森さんはまさかの予選敗退。

悔しくてゼッケンに

ちかいの言葉を

書きました。

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森千夏の虫垂がん

森さんに思わぬ事態が!!

「入院しなくちゃいけなくてさ。

お腹がね・・・」

池田に多くを語らなかった

森千夏さん。

虫垂がんという病気だった。

念願だったオリンピックを前に

だんだん痩せていく森千夏。

森さんは病床で

「もう一度オリンピックを」

と言って折れなかった

のです。

森さんの病気により

それまで以上に練習に

打ち込んだ池田久美子さん。

2006年8月9日に

森千夏さんは他界。

多くのアスリートが参列した

森さんの告別式で弔辞を

捧げたのは池田久美子さんでした。

「森ちゃん今まで

本当にありがとうね。

久美ちゃん泣かないでねって

言ってそうだね。

でも森ちゃんがいないから

すごい悲しいね。

森ちゃんが砲丸大好きで

日本記録出した時に

「おめでとう」って言った時

「久美ちゃんまだまだだよ」

って言ったよね。

2人でオリンピック目指そうね

って約束したよね。

でも森ちゃん。

森ちゃんがそれができない分

私が北京でメダルとって

森ちゃんのお墓に報告できるように

頑張るからね。」

池田久美子さんは

その後、大スランプに。

しかし、池田さんを救ったのは

森さんでした。

森さんのお母さんと墓参りに訪れた時。

森の母「久美ちゃん。これ持って行って。

あの子が作っていたの。久美ちゃんに

渡してって。預かっていたの」

それは森さんが池田のために

作ったブレスレットだった。

「亡くなった人は何もできない、

でも思い出すことはできる。

陸上をやめることは簡単だけど

それでいいの?と

言ってくれる気がして」

27才、絶不調で迎えた日。

6m70cmで大ジャンプして優勝。

オリンピックへの切符を手にしました。

その日の会見では

池田「ここに来るまで・・・」

涙を流す池田さん。

当時を振り返って

「足がもげても

絶対跳んでやる!」

と思っていましたね。

池田さんは

「イムラアスリートアカデミー」

を設立して

子供に指導している。

「今度は救う立場で手助けできたら」

と話します。

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