河野景子がバイキングで坂上忍に離婚の全てを語る!貴乃花との激動23年!




今日のバイキング・ザ・ゴールデンでは、

河野景子さんが坂上忍に貴乃花との23年を語りました。

先ほどまで、理事になった時の貴の乱などについて

話がありましたが、

今回は、離婚について、特にお伝えしていきたいと思います。

なぜ離婚の道を選んだのか?

「夫婦の時間もあったけど、

いつの間にかそうではなくなっていった。

(戦友になっていった)

理由は1つではない。

私もゆっくり考えていく。

これから過ごす人生のゴール、

ずれていった。

あまりにもいろんなこと、

いろんな報道や、第三者があって、

その隙間を埋め尽くす余裕がなくて

そうなった。」

「前から離婚という話もあったんです」

と景子さん。

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「別れないという選択肢もあった?」

と尋ねられると

「ちょっと別々にいきてみたい」

とお互いに思った。

景子さんは

「彼も私に苦労をかけすぎたという思いがあったし、

自分も気持ちに余裕が持てない状況に

あった」

ただ、

「とっても尊敬しているし、

感謝しています。

辛いことも悲しいこともたくさんあった。

嬉しいこともたくさんあった。

全部が私を作り上げている。

今までの23年間に感謝しています。」

しかし。

貴乃花の

「円満な夫婦なら、離婚なんてしません」

との発言がありました。

景子さんは

「円満」と表現。

景子さんは

「彼らしいですよね!」

と笑った。

「円満な夫婦だった、と勘違いしたんだと思います」

と。

「全然、円満だと思います」

と景子さんは話しました。

夫婦喧嘩の中で、言い争いで

離婚という言葉が飛び交うことは

日馬富士の一件の前からあったそうです。

続いては、景子さんの会社設立についてです。

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ちょこちょこ講演をやろう、とやり始めたら

増えてきた。

講演をやることで、部屋も

助かっていた。

「花田」としてやっていた。

貴乃花が

「花田ではなくて、河野でも仕事をしたらどうだ?」

と言われた。

河野というとアナウンサー時代のこと。

コミュニケーションを使う。

じゃあ、河野景子という仕事をする、

というのが2年前にあったんです。

貴乃花から勧められて、河野という

仕事を始めたんだそうです。

そして、貴乃花が倒れた時のことについて

話したいという景子さん。

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今年8月、貴乃花が熱中症と思われる症状で

入院した貴乃花。

しかし、景子さんは行きませんでした。

景子さんは、新潟 びょうこう市で

講演でした

貴乃花

「もう元気になった。明日退院するから

来なくていい」と言いました。

景子さんは、東京で

貴乃花をのせるため、(追いかけられないために)

レンタカーを借りて、東京駅に行く、

マネージャーと一緒に駅から親方を乗せる導線を調べて、

レンタカーでお迎えして、病院に

精密検査に連れていく、という算段をした。

続いて貴景勝の優勝についてです。

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貴景勝が10歳の頃から、きていた。

回しの片方に、貴乃花と刺繍していた。

大阪場所になると、お父さんに連れられて、

練習に来ていた。

小さい頃から知っている、甥っ子のような子。

関西弁で面白いところも。

真面目で賢さもある。

自分の千秋楽の取り組みが終わった後

他の取組の映像を見ない姿が、誰かと似てるなあと

思っていました。

17年前の小泉首相の「感動した!」

以来、目に焼き付けようと思った。

景子さんは、

「長年の夢はあの看板の横に

貴乃花が紋付で立って、黒紋付で帰ってくる

その写真を撮るのが夢だった。」

「それは叶わなかったけれども、

貴景勝が優勝してくれたのは、

最高のご褒美でした。」

続いては長男、花田優一さんの教育方針についてきになる場合は次のページへ

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