木曜会議でドリフの打ち合わせはいかり長介や志村けんが進行【金スマ】




今日の金スマでは、

ドリフターズの木曜会議について

お伝えしています。

「8時ダヨ!全員集合」の

作家さんが書いてくる台本を

話し合う「木曜会議」。

午後3時から始まる会議は

日付をまたぐこともしばしばでした。

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いかりや長介は、納得するまで

みんなを帰さなかった。

いかりや長介が特に大事にしていたのは

組織の上下関係を表現することだった。

威張るいかりや長介を

残りの4人がバカにする。

木材で頭を殴ったり、

墨だらけにすることもあった。

社会でいえば、威張った上司や先生を

やっつける痛快さがお茶の間を

惹きつけたのです。

当時いかりや長介は

「いいか、俺たちの笑いはな、

5人で作る笑いなんだよ。誰か一人が

目立ってもダメなんだって」

この言葉が志村けんにも

影響を与えていたという。

1981年にオレたちひょうきん族が

始まると、視聴率が低迷する日も

あった。

するといかりや長介が、

木曜会議に遅れてくるようになった。

後半はそこそこのものを決めていると、

いかりや長介が後から入ってきて、

「じゃあそれで行こうか」と言い、

志村けんに進行を任せることも

多くなっていったという。

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地方に行った時に、いかりや長介に

誘われ、2人で飲みに行った志村けん。

その時にいかりや長介の思いを知る。

いかりや長介「志村、俺はしんどいんだよ。

お前がまとめてやってくれないか」

お子さんが生まれて「ゴリラしねー」と

言われるのも辛かったといういかりや長介。

初めての弱音だった。

その頃、「カトちゃんケンちゃんご機嫌テレビ」

を後継番組にすることになった。

5人から2人になることが決まって

やる気がものすごいあった志村けんさん。

しかし、「8時ダヨ!全員集合!」の番組も

継続する中での後続番組の準備。

16年の歴史に幕を下ろし、

加トちゃんケンちゃんの番組が始まったのです。

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